大阪地方裁判所 昭和58年(行ウ)149号 判決 1985年3月28日
大阪市天王寺区堂ヶ芝町二丁目一四番一一号
原告
三木浩司
右訴訟代理人弁護士
密門光昭
右同所一一番二五号
被告
天王寺税務署長
辻康男
右訴訟代理人弁護士
兵頭厚子
右指定代理人
浅尾俊久
同
高田安三
同
雑賀徹
同
伊丹聖
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が昭和五八年一〇月二四日付で原告に対してした被相続人逞太郎の相続に関する相続税の再更正処分(以下、本件再更正処分という。)のうち納付税額金九三二万七三六〇円を超える部分、及び、被告が昭和五四年七月二日付で原告に対してした右被相続人の相続に関する相続税の過少申告加算税の賦課決定処分(以下、本件賦課決定処分という)は、これを取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告の父亡三木逞太郎(以下、逞太郎という)は、昭和五一年一月一三日死亡し、その遺産を、その妻三木春恵が三分の一、長男三木裕、二男三木敏郎、三男原告、長女小谷玲子、二女吉本靖子、三女前川富士子が各九分の一の割合で相続した。
2 原告は、同年七月一三日、被告に対し、右1の相続による相続税として別表(一)の「申告」欄記載のとおりの内容の相続税の申告をした(甲第一号証の一)。
3 被告は、右2の申告に対し、昭和五四年七月二日、原告に対し、別表(一)の「更正」欄記載のとおりの更正処分(以下、本件更正処分という)及び本件賦課決定処分をした(甲第二号証)。
4 そこで、原告は、被告に対し、昭和五四年九月三日、本件更正処分及び本件賦課決定処分に対する異議申立をしたところ(甲第三号証)、被告は、同年一〇月二八日、これを棄却した。原告は、更に、国税不服審判所長に対し、同年一一月二八日、審査請求したが(甲第五号証)、同所長は、昭和五六年七月二一日、別表(一)の「裁決」欄記載のとおりの裁決(違算により一部九〇〇円の取消)をした(甲第六号証)。
5 そこで、原告は、昭和五六年一〇月二〇日、被告の本件更正処分及び本件賦課決定処分の取消を求める訴訟を大阪地方裁判所に提起したが(同裁判所昭和五六年(行ウ)第八四号)、右訴訟の係属中、被告は、昭和五八年一〇月二四日、原告に対し、相続人間に遺産分割協議が成立したことを理由に、別表(一)の「再更正」欄記載のとおりの増額再更正処分(本件再更正処分)をした(甲第二三号証)。
6 しかしながら、本件更正処分、したがって本件賦課決定処分並びに本件再更正処分は、原告が相続により取得した財産及びその価格を過大に認定した違法がある。
7 よって、原告は、被告に対し、本件再更正処分のうち当初の申告に基づく納付税額金五八八万九九〇〇円を超える部分並びに本件賦課決定処分の取消を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし5の各事実は認める。
2 同6は争う。
三 被告の主張
逞太郎の遺産のうちの積極財産、債務等控除の対象となる消極財産、相続開始前三年以内の贈与財産の価格、法定相続人数、原告の取得した財産及びその価格、原告以外の相続人が取得した財産及びその価格は、別表(一)の「被告主張額」欄記載のとおりであり、右各価格に基づいて、相続税法の規定に従って算出した原告の相続税額は、本件再更正処分は、適法である。また、本件再更正処分当時、すなわち、後記の相続人間の昭和五七年一二月二七日和解成立以前の原告の相続税額は、本件更正処分も適法である。
1 逞太郎は、昭和五一年一月一三日死亡し、請求原因1のとおり、法定相続人七名が相続した。
2 逞太郎死亡により、その遺産から相続又は遺贈により財産を取得したすべての者(以下、各相続人等という)に係る相続税の課税価格の基礎となる。取得財産価格の合計額は別表(一)の<13>(別表(二)、(三)の合計)の、債務等控除額は同表の<14>(別表(四))の、相続開始前三年以内の贈与財産の価格は同表<15>(別表(五))の、基礎控除額は同表の<18>の、各「被告主張額」欄記載のとおりとなり、被相続人逞太郎死亡による課税遺産総額は、金一億三一六八万五〇〇〇円(同表の<19>の「被告主張額」欄)となる。
3 そして、右課税遺産総額を各法定相続人(七名)が法定相続分に従って相続したと仮定した場合の、相続税の総額の基となる各相続人の税額を、相続税法一六条の規定に従って算出すると、別表(六)の<6>のとおりとなり、結局、相続税の総額は、金三〇三九万〇五〇〇円(同表の<7>、別表(一)の<20>の「被告主張額」欄)となる(なお、国税通則法一一八条、相続税基本通達一〇九条により、一〇〇〇円未満の端数は切捨てるものとする)。
4 原告が、逞太郎死亡により、相続によって(遺産分割を含む)取得した取得財産価格は別表(一)の<1>の、債務等控除額は同表<2>の、相続開始前三年以内の贈与を受けた財産の価格は同表の<3>の各「被告主張額」欄記載のとおりであり、原告の取得財産の課税価格は、金九三七四万一〇〇〇円(同表の<4>の「被告主張額」欄)となる。
5 なお、別表(二)の順号2の宅地(公簿上四四九・九四平方メートルのうちの私道部分を除いた三八一・三〇平方メートル、以下、私道部分を含めて本件三九七番の一の土地という)を、被相続人逞太郎が取得し、これが、その遺産となった事実経過は、次のとおりである。
(一) 分筆前の三九七番の一の土地の登記簿上の分合筆手続の経過は、別表(七)記載のとおりである。
(二) 分筆前の三九七番の一の土地は、昭和二八年五月以前は、訴外西村久二の所有であった。
(三) 逞太郎は、昭和二八年五月二日、西村久二から、分筆前の三九七番の一の土地を買い受けて、その所有権を取得した。
(四) 分筆前の三九七番の一の土地については、逞太郎が右(三)の売買による所有権移転登記を経由し、その後右土地は、別表(七)記載のとおりの分合筆手続がとられたため、現時点においては、本件三九七番の一の土地の登記簿に、逞太郎のために右売買を原因とする所有権移転登記がなされている。そして、逞太郎の生前、本件三九七番の一の土地について逞太郎から更にその所有権が他に移転された旨の登記はない。
(五) したがって、本件三九七番の一の土地は、昭和五三年一月一三日死亡した逞太郎の遺産と認めざるを得ない。
(六) そして、別表(四)の順号2固定資産税のうちの生野区役所に対する金二六万九〇一〇円の固定資産税の納付義務も、逞太郎の遺産のうちの消極財産として、債務控除の対象となるというべきである。
(七) また、別表(五)の順号8の本件三九七番の一の土地の地代(別表(八))も、逞太郎が、原告に対し、その死亡前三年に亘って、贈与したことになる。
6 なお、別表(二)の順号6の私道(一〇四・一八平方メートル、以下、本件私道という)のうちの五分の一の持分権(以下、本件私道持分という)の評価額が、被告主張どおり金八九万七六一〇円であることの根拠は、次のとおりである。
(一) 相続税財産評価に関する基本通達(以下、基本通達という)二三によれば、私道のうち、不特定多数の者の通行の用に供されているものは、相続税課税の際の評価はしないことにし(結局、評価額を零とする)、それ以外のものについては、宅地評価の六〇パーセント相当額とされている。
(二) ところで、本件私道は、本件三九七番地の一の一部に設けられた私道でその両端が公道に接し、通り抜けの可能な私道部分とは異なり(乙第四二号証の二参照)、いわゆる特定の宅地の用途にのみ供されるいわゆる袋地の取付道路の形状をしており(同号証の一参照)、しかも、その所有権は六名の共有である(甲第二〇号証)。したがって、本件私道は、不特定多数の者の通行の用に供されているとはいえず、専ら右共有者の用に供されているから、基本通達によっても、相続税の課税の際、これを評価しなければならないのは、当然である。ちなみに、本件私道は、固定資産税及び都市計画税の課税上も宅地として評価され、課税されている(乙第二号証四)。
(三) のみならず、本件私道のように、特定の土地利用のために設置された私道は、容易に私道を廃止して宅地化し、合筆併合して一体化することが可能であり、或いは、これに、単独又は隣接宅地とともに抵当権等の諸権利を設定したり、これを譲渡することが可能である。したがって、本件私道には、公衆用道路にはない経済的価値がある。
(四) 本件私道の評価額は、基本通達に則り、適正に算出されたものである。
7 なお、別表(二)の順号7ないし20、24の各株式(以下、本件(一)の株式という)、順号25ないし27の各株式(以下、本件(二)の株式という)は、逞太郎がこれを取得し、昭和五一年一月一三日逞太郎の相続開始当時、いずれも、株主名簿又は名義書換代理人備付の株主名簿の複本上では、逞太郎名義となっており、その利益配当金は、全て、逞太郎に支払われていたものであるから、逞太郎の遺産であることは明らかである。そして、原告は、自らその一部を処分し、或いは、昭和五七年一二月二七日成立した大阪地方裁判所昭和五二年(ワ)第一九六二号事件の訴訟上の和解(以下、本件和解という)によって(右和解は、原告の処分を追認することも含む)、結局、本件(一)の株式、本件(二)の株式を、いずれも取得したことになる。
したがって、同表の順号29ないし31の各未収配当金も、当然に逞太郎の遺産で、これを原告が取得したことになる。
8 なお、別表(五)の順号6、7(以下、本件天王寺の土地建物という)の各持分二分の一は、いずれも、もと逞太郎の所有であったところ、逞太郎は、昭和五一年一月一日から、死亡した同月一三日までの間に、相続人の一人である前川富士子に対してこれを贈与した。本件天王寺の土地建物の登記簿(乙第四一、四二号証)には、逞太郎死亡の後である昭和五一年三月三一日受付で、昭和四二年六月九日贈与を原因とする持分全部移転の各登記が経由されているが、これは、課税を免れるため虚偽の内容を登記したものである。また、前川富士子は、本件天王寺の土地建物につき、昭和五一年中に贈与を受けたとして昭和五二年三月一〇日贈与税の申告を受けたとして昭和五二年三月一〇日贈与税の申告をしている(乙第四六号証)。
9 そうすると、原告の納付すべき相続税額は、次のとおりの計算式により、金一五八五万四六一一円となり、(相続税法一七条)、その範囲内でなされた本件再更正処分は、適法である。
<省略>
四 被告の主張に対する原告の認否
1 被告の主張の冒頭部分は、争う。
2 同1の事実は認める。
3 同2のうち、
(一) 別表(一)の<13>の「被告主張額」欄の内訳である、別表(二)の各財産のうち、順号1、3ないし5、21ないし23、28、32ないし34の各財産が、逞太郎の遺産であり、かつ、被告主張のとおり、本件更正処分及び本件賦課決定処分当時は未分割であって、その後、本件再更正処分までに、昭和五七年一二月二七日成立した本件和解によって、これを原告又はそれ以外の各相続人等が取得したことは、認める。その余の別表(二)の財産のうち、順号2の宅地は、原告固有の財産であって、逞太郎の遺産ではなく、順号6の私道の共有持分権(五分の一)は、逞太郎の遺産であることは認めるが、その評価額は被告主張の八九万七六一〇円ではなく、後記のとおり、その財産的価値はないから零円と評価すべきであり、順号7ないし20及び24ないし27の各株式は、逞太郎はこれを後記のとおり生前処分し又はこれを有していなかったから、相続開始当時逞太郎の遺産としては存在していなかったものであり、順号29ないし31の各未収配当金も残存する筈はなかったものである。
別表(一)の<13>の「被告の主張額」欄の内訳である別表(三)の各財産が、被告主張のとおり遺贈されたことは認める。
(二) 別表(一)の<14>の「被告主張額」欄の内訳である別表(四)の各債務については、別表(四)の順号2の生野区役所に対する固定資産税未納分(本件三九七番の一の土地に関するもの)金二六万九〇一〇円を除いて、全て認める。右固定資産税未納分は、本件三九七番の一の土地が逞太郎の遺産に属するものでない以上、相続税法一三条の債務控除の対象とはならない。
(三) 別表(一)の<15>の「被告主張額」欄の内訳である別表(五)の各財産のうち、順号1ないし5の各財産が、被告主張のとおり、もと逞太郎の所有であり、相続開始前三年以内に原告及びそれ以外の者に贈与されたことは認める。順号6、7の宅地及び家屋、同8の地代については否認する。
(四) 別表(一)の<18>の「被告主張額」欄は、認める。
4 同3、4は、いずれも争う。
5 同5の冒頭事実は、争う。
(一) 同5の(一)、(二)の各事実は、認める。
(二) 同5の(三)の事実は、否認する。分筆前の三九七番の一の土地は、逞太郎が単独で買受けたものではない。
(三) 同5の(四)の事実のうち、本件三九七番の一の土地の登記簿上、被告主張のとおりの所有権移転登記・分合筆の登記が各経由されており、逞太郎から更にその所有権が移転された旨の登記がないことは認めるが、その余は争う。
(四) 同5の(五)ないし(七)は、争う。
6 同6は、争う。
7 同7は、争うが、本件(一)の株式は、いずれも、かつて、逞太郎がこれを取得したこと、そして、相続開始当時、その株主名簿又は名義書換代理人備付の株主名簿の複本において、逞太郎名義となっていたことは認めるが、その余は争う。
8 同8の事実中、本件天王寺の土地建物のうちの二分の一の共有持分権が、もと逞太郎の所有であったことは、認めるが、その余は、争う。
五 原告の反論
1 本件三九七番の一の土地は、逞太郎の遺産ではなく、原告の固有財産である。
すなわち、逞太郎と大植クニは、昭和二八年五月二日、西村久二から、折半して共同で、分筆前の三九七番の一の宅地を含む周辺の土地合計九二九坪六一(三〇六三・一七平方メートル)を、持分割合各二分の一、代金一九七万円で買い受けた。したがって、分筆前の三九七番の一の土地は、逞太郎及び大植クニが、各二分の一の持分割合で共有することになった。ただし、右売買に際し、大植クニ名義に所有権移転登記をするのは、税務対策上不都合であったので、分筆前の三九七番の一の土地についても、逞太郎へその所有権全部が移転した旨の所有権移転登記が経由された。逞太郎も、大植クニに対し、分筆前の三九七番の一の土地を含む右共同購入にかかる土地が、逞太郎と大植クニの共有であること、したがってその売却代金は、両名が折半することを、書面(甲第二一号証)をもって確認している。
大植クニは、その後、昭和三七年一〇月一六日、逞太郎から、分筆前の三九七番の一の土地の同人の持分二分の一を譲り受け、結局、分筆前の三九七番の一の土地の同人の持分二分の一を譲り受け、結局、分筆前の三九七番の一の土地を単独所有することになった(甲第九号証の一)が、原告は、更に、昭和四一年一〇月一日、大植クニから、分筆前の本件三九七番の一の土地を代金二〇八〇万円(甲第一〇号証)で買い受けて(ただし、その形式は、原告が大植クニから買い戻す形をとった。甲第九号証の二)、結局、その所有権を取得するに至った。
なお、原告は、昭和四一年一〇月当時、その所有のアパートの入居者が預託した保証金、家賃収入等を貯金していたから、本件三九七番の一の土地等の買受代金を支払う資力を有していた(甲第二四号証)。
以上のとおりであるから、本件三九七番の一の土地は、昭和四一年一〇月一日以来、原告の所有であって、逞太郎の所有ではない。
また、本件三九七番の一の土地上の建物は、訴外有限会社三木の所有であり、原告は、右地代収入を自己の所得として申告している。したがって、本件三九七番の土地の地代として申告している。したがって、本件三九七番の土地の地代(別表(二)の<15>の「被告の主張額」欄の内訳である別表(五)の順号8)も、勿論、原告の固有財産であって、被告主張のように、逞太郎が、相続開始前三年以内に、原告に贈与したものではない。
更に、本件三九七番の一の土地についての固定資産税納付義務も、当然に、原告固有の債務であって、逞太郎死亡による相続の際の債務等の控除として計上されるべきものではない。
2 本件私道は、不特定多数の人が、現実に通行しうる状態にあるから、相続財産評価に関する基本通達によれば、評価をしない取扱になっている財産に該当する。
3 本件(一)の株式は、かつて逞太郎が所有していたことはあるが、次のとおり、逞太郎の遺産ではない。すなわち、
逞太郎は、本件(一)の株式を所有していたが、原告は、逞太郎から、昭和四八年三月頃、原告の逞太郎に対する貸付金六〇〇万円の代物弁済として本件(一)の株式を譲り受けた。原告は、その後、原告の妻の母である訴外西川ヤス子に対し、本件(一)の株式の大半を、昭和五〇年三月一日、借受金四〇〇万円の代物弁済として譲渡し(甲第一六号証の一、二)、昭和五〇年一一月三〇日、原告の妻の姉婿である訴外竹内啓喜に対し、借受金一三〇万円の代物弁済として、本件(一)の株式の残余を譲渡した(同第一七号証の一、二)。したがって、本件(一)の株式の残余を譲渡した(同第一七号証の一、二)。したがって、本件(一)の株式は、逞太郎の遺産ではなく、被告主張のように原告が取得したものではない。また、本件(一)の株式中の別表(二)の順号7、13の各株式の未収配当金(同表の順号29、30)も、同様である。
4 本件(二)の株式については、いずれも、原告は、全く心当りがなく、逞太郎の遺産である筈がない。
5 本件天王寺の土地建物の共有持分権二分の一については、逞太郎が、前川富士子に対し、昭和四二年六月九日贈与したものであり、現に、右贈与を原因とする所有権移転登記が経由されている(乙第四〇、四一号証)。前川富士子は、結局、自己の従前持分と合わせて、その完全な所有権を取得したのであり、当時から現在まで、自らの自宅として家族とともに居住してこれを使用している。したがって、被告主張のように逞太郎が、昭和五一年一月一日から死亡する同月一三日までの間に、前川富士子に贈与したものではない。
六 原告の反論に対する認否
原告の反論1ないし4は、いずれも、争う。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の証拠関係欄記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因1ないし5の各事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、以下、本件再更正処分の要件となる個々の具体的事実について、順次検討する。
1 被告の主張1の事実、同2のうち、別表(二)の順号1、3ないし5、21ないし23、28、32ないし34の各財産が、逞太郎の遺産であり、かつ、被告主張のとおり、本件更正処分及び本件賦課決定処分当時未分割であって、その後、本件再更正処分までに、昭和五七年一二月二七日成立した本件和解によって、これを原告又はそれ以外の各相続人等が取得したこと、別表(三)の各財産が被告主張のとおり遺贈されたこと、逞太郎の遺産のうちの債務等控除の対象となる消極財産が別表(四)のとおり(ただし、同表の順号2の固定資産税のうち生野区役所に対する固定資産税未納分金二六万九〇一〇円を除く)であること、別表(五)の順号1ないし5の各財産が、もと逞太郎の相続開始前三年以内に原告及びそれ以外の者に贈与されたこと、別表(一)の<18>の「被告主張額」欄に記載のとおり、逞太郎の遺産に係る基礎控除額が金四八〇〇万円であること、以上の事実は、当事者間に争いがない。
2 まず、別表(二)の順号2の本件三九七番の一の土地が、逞太郎の遺産であり、被告主張のとおり、原告がこれを取得したか否かについて検討する。
(一) 被告の主張5の(一)、(二)の各事実は、当事者間に争いがなく、右各事実の成立に争いがない甲第九号証の一、乙第四号証、同第五、六号証の各一、二、同第七ないし第一三号証、原告本人尋問の結果によって真正に成立したものと認められる甲第二二号証、原告本人尋問の結果、並びに、弁論の全趣旨を総合すると、本件三九七番の一の土地(現在の登記簿上の表示は、生野区巽北一丁目三九七番の一宅地四四九・九四平方メートル、乙第四号証)は、別表(七)記載のとおりの分筆経過を経たものであり、右分筆前の三九七番の一の土地は昭和二八年五月当時は、周辺の土地は昭和二八年五月当時は、周辺の土地とともに西村久二の所有であったこと、分筆前の三九七番の一及び分筆後の本件三九七番の一の土地については、登記簿上、昭和二八年五月四日に同月二日、売買を原因として逞太郎の所有名義にその所有権移転登記が経由されており、逞太郎が死亡した昭和五一年一月一三日当時も引続き本件三九七番の一の土地は、逞太郎の所有名義になっていて、登記簿上、右土地の所有権が他人へ移転されたことは全くないこと、以上のとおり認められるところ、右事実によれば、他に相当強力な反証のない限り、分筆前の三九七番の一の土地は、昭和二八年五月二日、逞太郎が西村久二からこれを買受けてその所有権を取得し、以後分筆後の本件三九七番の一の土地になってからも、引き続き昭和五一年一月一三日に死亡するまで本件三九七番の一の土地を所有していたものと認めるのが相当である。
(二) 原告は、この点につき、本件三九七番の一の土地は原告の固有財産であって逞太郎の遺産ではない、すなわち、昭和二八年五月二日、西村久二から、分筆前の三九七番の一の土地を買い受けたのは、逞太郎と大植クニであり、これにより右土地は両名の共有(持分各二分の一)になったが、その後、逞太郎は、同人の持分二分の一を大植クニから、更に、分筆後の本件三九七番の一の土地を買い受けたと主張する。ところで、
(1) まず、原告は、その本人尋問において、分筆前の三九七番の一の土地は、昭和二八年に、逞太郎が大植クニと共同で西村久二から買受けたが、その所有権移転登記は、大植クニの税金対策上、便宜逞太郎の単独所有名義に所有権移転登記を経由した旨の供述をしている。
しかしながら、(イ)逞太郎が大植クニと共同で昭和二八年に右三九七番の一の土地を買受けたことを証する売買契約書やその他の契約書は全く提出されていないし、また、前述のとおり、分筆前の三九七番の一の土地については、その後大植クニ名義に単独所有又は共有の登記がなされたことは全くない。(ロ)次に、前掲甲第九号証の一によれば、分筆前の三九七番の一の土地は、逞太郎の単独所有であることを当然の前提として、逞太郎が、昭和三一年五月一〇日、大植クニに対し、右土地全部(その二分の一の共有部分ではない)を代金二三〇万円で売渡した旨の契約内容を記載した公正証書が、右逞太郎らの嘱託に基づき昭和三七年一〇月一六日に作成されていることが認められ、また、成立に争いのない乙第一四号証によれば、逞太郎は、その後の昭和四一年一二月二〇日、分筆後の本件三九七番の一の土地は、逞太郎の単独所有であることを当然の前提として、原告、小谷玲子、前川富士子の三名に対し、右土地を代金七一〇万円で売渡した旨の売買契約を記載した右同日付の公正証書が、右逞太郎及び原告らの嘱託に基づいて作成されていることが認められるところ、右甲第九号証の一、乙第一四号証の公正証書に記載の売買契約が虚偽のものであるか否かは暫く措くとしても、逞太郎は、分筆前の三九七番の一及び分筆後の本件三九七番の一の土地は、いずれも当時同人の単独所有であることを前提として、前記各公正証書作成の嘱託をしたものというべきである。そして、前記(一)及び右(イ)(ロ)の事実関係のある本件においては、原告本人の前記供述は、たやすく信用できないものというべきである。
(2) 次に、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第二一号証によれば、逞太郎は、昭和三六年中に、分筆前の三九七番の一の土地は、大植クニとの共同所有であって、その売却代金は、右同人と折半する旨記載した大植クニ宛の契約書を作成していることが認められる。しかし、前述のとおり、その後いずれも逞太郎らの嘱託に基づき、昭和三七年一〇月一六日には、逞太郎がこれより先の同三一年五月一〇日に、その単独所有にかかる分筆前の三九七番の一の土地を大植クニに代金二三〇万円で売渡した旨の公正証書(甲第九号証の一)が作成され、さらに昭和四一年一二月二〇日には、逞太郎が分筆後のその所有にかかる本件三九七番の一の土地を原告外三名に代金七一〇万円で売渡した旨の公正証書(乙第一四号証)が作成されていることに照らして考えると、前記甲第二一号証の記載内容は、到底信用できないものというべきである。
(3) さらに、原告は、その本人尋問において、分筆前の三九七番の一の土地は、他の土地と共に昭和二八年に逞太郎が大植クニと共同で買受けたものであるが、その後大植クニが右買受けにかかる土地の半分を取得し、分筆後の本件三七九番の一の土地は大植クニの単独所有となったので、昭和四一年一〇月一日に、原告が右大植クニから本件三九七番の一の土地を代金二〇八〇万円で買受けたとの趣旨の供述をしている。
しかしながら、(イ)原告が大植クニから本件三九七番の一の土地を代金二〇八〇万円で買受けたとの事実を証する売買契約書やその他の契約書、右代金の支払を証する領収証等は全く提出されていないし、(ロ)前述の如く、逞太郎及び原告らの嘱託に基づき、右原告本人の供述する売買の直後の昭和四一年一二月二〇日、逞太郎がその所有にかかる本件三九七番の一の土地を、原告、小谷玲子、前川富士子に売却した旨の右同日付の公正証書(乙第一四号証)が作成されているし、(ハ)成立に争いのない甲第一九号証、乙第一七号証ないし第二〇号証によれば、訴外三木春恵と本件原告以外六名との間の大阪地方裁判所昭和五二年(ワ)第一九六二号事件の各本人尋問において、小谷玲子及び本件原告は、いずれも本件三九七番の一の土地は、本件原告、大谷玲子、前川富士子の三名が、大植クニからこれを買受けた旨供述して、本件における前記原告本人尋問の際の原告の供述と異る供述をしていることが認められるのであって、右(イ)ないし(ハ)の諸事情に照らして考えると、原告が単独で、大植クニから本件三九七番の一の土地を買受けた旨の前記原告本人の供述は、到底信用できないものだというべきである。
(4) なお、前掲甲第九号証の一、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第号証の二によれば、逞太郎が大植クニに対して分筆前の三九七番の一の土地を売却した旨記載した前掲甲第九号証の一の公正証書謄本の末尾に、「本件契約は買戻しにより解消致します。」として、「買戻し人大植クニ」「買戻し人三木浩司(原告)」なる署名捺印のある昭和四一年一〇月一日付の書面(甲第九号証の二)の添付されていることが認められるところ、原告は、その本人尋問において、右甲第九号証の二は、原告が大植クニから本件三九七番の一の土地を買受けたことを証するものとして作成したものであるとの趣旨の供述をしている。しかし、真実原告が大植クニから本件三九七番の一の土地を買受けたのであるならば、その旨記載した売買契約を作成するのが自然である。右売買契約書を作成する代りに、前記の如く、逞太郎が大植クニに分筆前の三九七番の一の土地を売渡した旨記載した公正証書謄本の末尾に、さらに、その後原告が分筆後の本件三九七番の一の土地を買受けたことを証するものとして、甲第九号証の二の如き甚だ不完全な書面を作成して添付するというようなことは、極めて不自然なことというべきであるし、また、右甲第九号証の二の書面が作成された直後に、前記の如き内容の乙第一四号証の公正証書が作成された直後に、前記の如き内容の乙第一四号証の公正証書が作成されていることに照らして考えると、右甲第九号証の二の記載内容はたやすく信用できないのであって、右甲第九号証の二から、原告が大植クニから本件三九七番の一の土地を買受けたものとは到底認め難い。
(5) また、以上のように、昭和三七年一〇月一六日作成の甲第九号証の一の公正証書には、逞太郎が分筆前の三九七番の一の土地を昭和三一年五月一〇日に大植クニに売渡した旨の記載があり、昭和四一年一二月一〇日作成の乙第一四号証の公正証書には、右同日、逞太郎が分筆後の本件三九七番の一の土地を原告外二名に売渡した旨の記載があり、昭和三六年中に作成された甲第二一号証の書面には、分筆前の三九七番の土地は、逞太郎と大植クニとの共有である旨の記載があり、昭和四一年一〇月一日付の甲第九号証の二には、分筆前の三九七番の一の土地を原告が大植クニから買戻した旨の記載があること等、右各書面には、分筆前の三九七番の一及び分筆の本件三九七番の一の土地について、相互に矛盾した記載があることを照らして考えると、右甲第九号証の一、乙第十四号証に記載の売買契約、甲第九号証の一、乙第一四号証に記載の売買契約、甲第九号証の二、甲第二一号証の各書面の記載は、いずれも当事者の通謀による内容虚偽のものと認めるのが相当である。
(6) そして、以上(1)ないし(5)の諸点に照らして考えると、前記冒頭の原告の主張事実に副う前掲甲第九号証の二、同第二一号証の各記載内容、原告本人尋問の結果は、到底信用し難く、したがって、右各証拠や成立に争いのない乙第一五号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一〇号証等をもって、登記簿上、分筆前の三九七番の一及び分筆後の本件三九七番の一の土地が引続き逞太郎の所有であると記載されている前記登記簿上の記載が虚偽であることを疑うことはできず、他に、右登記簿上の記載が虚偽であることを疑うに足りる証拠はない。
(7) もっとも、前掲甲第一九号証によれば、訴外三木春恵と本件原告外六名間の大阪地方裁判所昭和五二年(ワ)第一九六二号事件につき、昭和五七年一二月二七日成立した裁判上の和解において、本件三九七番の一の土地は、本件原告が単独所有権を有し、逞太郎の遺産ではない旨を双方が確認していることが認められるけれども、裁判上の和解は、当事者の自由意思により任意に、従前の真実の権利関係とは異る別個の権利関係を定めることができるから、前記(1)ないし(5)に記載の諸事情のある本件においては、右の如き内容の裁判上の和解がなされたとの事実をもって、前記登記簿の記載は虚偽であって、本件三九七番の一の土地は、逞太郎の遺産ではないと認める。
(8) また、官公署作成名義部分について成立に争いがなく、その余の部分につき原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一八号証の二の逞太郎作成の遺言書によれば、同遺言書に記載の不動産以外は、他に売却又は贈与した旨記載されており、本件三九七番の一の土地については、右遺言書に記載されていないことが認められるけれども、本件三九七番の一の土地については、その内容が虚偽ではあるが、前記のとおりこれを原告らに売渡す旨記載した乙第一四号証の公正証書が作成されているのであるから、右乙第一八号証の二の記載から、本件三九七番の一の土地が逞太郎の遺産でないと認めることはできない。
(9) そうとすれば、前記(一)に認定の登記簿の記載は真実であって、結局、逞太郎は、昭和二八年五月二日、訴外西村久二から分筆前の三九七番の一の土地を買受け、同月五日その旨の所有権移転登記を経由して、右土地所有権を取得し、分筆後の本件七九三番の一の土地も、引続き逞太郎が死亡するまで、同人の所有であったと認めるのが相当である。したがって、前記原告の右主張は、失当であって採用できない。
(三) してみると、本件三九七番の一の土地は、逞太郎の遺産であるというべきところ、前掲甲第一九号証並びに弁論の全趣旨によれば、これを原告が相続(遺産分割)によって取得したことが認められる。
3 次に、弁論の全趣旨によれば、原告は、別表(八)記載のとおりの本件三九七番の一の土地の地代を収受していることが認められるところ、右(2)のとおり、本件三九七番の一の土地が、昭和五一年一月一三日の死亡時まで逞太郎の所有であって、本件三九七番の一の土地の地代収入も当然に逞太郎に帰属べきものであったから、原告は、別表(八)記載のとおりの本件三九七番の一の土地の地代収入を、逞太郎から贈与として譲り受けたものと認めるのが相当であって、これに反する原告本人尋問の結果はたやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。したがって、別表(五)の順号8の地代収入(別表(八))も、被告主張のとおり、相続開始前三年以内に原告に贈与された財産として、相続税課税の要件となる財産に計上すべきことになる。
4 更に、弁論の全趣旨によれば、別表(四)の順号2の固定資産税のうち生野区役所に納めるべき本件三九七番の一の土地の固定資産税の未納付分は金二六万九〇一〇円あることが認められるところ、前記のとおり、本件三九七番の一の土地は逞太郎の遺産であるから、右固定資産税の未納付分についても、被告主張のとおり、これを債務控除に計上すべきことになる。
5 次に、別表(二)の順号6の本件私道が、逞太郎の遺産であって、その評価額が被告主張のとおりであるか否かについて検討する。
(一) 本件私道部分は、逞太郎の死亡当時、同人がこれを他の者と共有(持分五分の一)していたこと、すなわち、本件私道の共有持分五分の一は逞太郎の遺産であることは、当事者間に争いがない。
(二) 成立に争いがない乙第二号証の一ないし一一、同第四二号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、本件私道は、その一方のみが公道に通じるいわゆる袋路であって、これを利用するのは、専ら本件私道に隣接する土地の特定の居住者或いはその関係者であること、なお、本件私道に対する逞太郎の共有持分については、固定資産税、都市計画税が課せられていたことが認められたところ、右事実によれば、本件私道は、不特定多数の者の通行の用に供されているものとはいえないことは、明らかである。そうとすれば、本件私道について、遺産である宅地の一部が私道の用に供されているときは、その私道の用に供されている宅地部分の価格は、一般の宅地として評価した価格の六〇パーセント相当で評価する旨の基本通達に則って、その財産的価値があるものと認め、その評価額の六〇パーセントを逞太郎の遺産に計上することは、何ら違法ではなく、適法であるといわなければならない。
(三) 原告は、この点につき、本件三九七番の一の土地の一部の私道部分が、本件再更正処分によっても評価の対象とされていないことを挙げ、本件私道持分についても同様に解すべきである旨主張するが、前記乙第四二号証の二によれば、本件三九七番の一の土地の一部の私道部分は、公道から別の公道に通じる私道であって、その存在形態自体から、当然に不特定多数の人の通行の用に供されているものと推認され、本件私道部分とは異なることが認められるから、原告の右主張は、採用できない。
(四) そして、弁論の全趣旨によれば、本件私道持分の評価額は、被告主張のとおり、基本通達に則ると(宅地評価額の六〇パーセントの評価)、金八九万八六一〇円であることが認められる。
6 進んで、別表(二)の本件(一)の株式(順号7ないし20、24)、本件(二)の株式(順号25ないし27)が、逞太郎の遺産であって、被告主張のとおり原告がこれを取得した否かについて検討する。
(一) 本件(一)の株式を、逞太郎が有していたこと、そして、相続開始当時、その株主名簿又は名義書換代理人備付の株主名簿の複本においては、いずれも、逞太郎名義になっていたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。そして右争いがない事実並びに成立に争いのない乙第二一、二二号証、同第二三、二四号証の各一ないし三、同第二五、二六号証の各一、二、同第二七号証、同第二八ないし第三〇号証の各一ないし三、同第三一ないし第三四号証、同第三五号証の一ないし五、同第三六ないし第三八号証、同第四三ないし第四五号証によれば、本件(一)の株式も本件(二)の株式も、逞太郎がその株主として記載されていたこと、また、本件(一)の株式及び本件(二)の株式のうちで、利益配当のあったものはいずれも逞太郎宛(銀行の口座振込の場合は同人の口座宛)配当金が支払われていたこと、例えば、別表(二)の順号26の小野田セメント、同27の安田火災海上については、昭和五〇年六月及び七月頃、逞太郎が現実にその配当金を受け取っていること(乙第四四、四五号証参照)が認められるから、他に相当強力な反証のない限り、本件(一)の株式、本件(二)の株式はいずれも逞太郎の遺産であったと認めるのが相当である。
(二) これに対して、原告は、まず、本件(一)の株式につき、逞太郎は、昭和四八年三月、原告からの借入金六〇〇万円の債務の代物弁済として、本件(一)の株式を原告に譲渡し、原告は、右株式の大半を、昭和五〇年三月一日、西川ヤス子に対し、残余の本件(一)の株式を、右同人からの借受金一三〇万円の代物弁済として譲渡したから、結局、本件(一)の株式は、逞太郎の遺産ではないと主張しているところ、前掲乙第二〇号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一六、一七号証の各二、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第二四号証、原告本人尋問の結果中には右原告の主張事実に副う趣旨の記載及び供述がある。しかし、(1)逞太郎が真実原告に対して本件(一)の株式を譲渡し、さらにこれを原告が訴外西川ヤス子、同竹内啓喜に譲渡したのであるならば、配当を伴う株式の特質から考えて、すみやかに逞太郎は原告名義に、原告は訴外西川ヤス子、同竹内啓喜にそれぞれその株主の名義を書替え、配当金も右受取人において直接受取ることにできるようにするのが、通例であるのに、右名義書替は、前述のとおり、逞太郎の死亡するまでなされておらず、本件(一)の株式のうち配当のあるものについても、右配当金を訴外西川ヤス子や同竹内啓喜に直接支払われたことはなく、逞太郎に支払われていた。(2)また、原告本人尋問の結果によれば、甲第一六号証の二、同第一七号証の二の各書面は、いずれも、原告が、逞太郎死亡による相続税の申告をした後である昭和五一年秋ころその作成名義人である原告の妻の母親の訴外西川ヤス子及び原告の妻の姉の婿である訴外竹内啓喜に依頼し、日付をさかのぼらせて作成したことが認められる。そして右(1)(2)の事実及び前記(一)の事実に照らして考えると、前記原告の主張事実に副う甲第一六、一七号証の各二、同第二四号証、乙第二〇号証の各記載内容、及び、原告本人尋問の結果は、到底信用できないものというべきである。また、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一六号証の一、同第一七号証の記載内容自体は、本件(一)の株式を譲渡することを意味するものではないから、結局、原告の右主張を認めるに足りる証拠ではないといわなければならない。
次に、前掲甲第一九号証によれば、前記大阪地方裁判所昭和五二年(ワ)第一九六二号事件の裁判上の和解において、当事者双方は、本件(一)の株券は逞太郎の遺産ではないことを確認していることが認められるが、前記2の二(7)において述べたと同一の理由により、右事実をもって、本件(一)の株式が逞太郎の遺産でないと認めることはできないものというべきである。更に、成立に争いのない甲第二五号証の一ないし九によれば、西川ヤス子は、昭和五二年四月二三日、本件(一)の株式の一部を、日興証券株式会社を通じて売却したことが認められるが(ただし、本件(一)の株式とは別のものも一部含まれている。)、右売却は、被相続人である逞太郎が死亡した昭和五一年一月一三日から一年以上経過してからなされたものであって、本件(一)の株式が逞太郎の遺産であったことを認定する妨げにはならない。いずれにしても、原告の右主張は失当であって採用できない。
(三) 次に、原告は、本件(二)の株式につき、各株式の株券が既に存在せず、したがって、原告及び各相続人等は、その株式を相続によって取得したことはあり得ないと主張し、原告本人尋問の結果中には、右原告の主張事実に副う趣旨がある。
しかし、仮に本件(二)の株式の株券を原告らが所持していないとしても、株券の喪失によって直ちに株主としての権利自体を喪失するものではないのであって、前記(一)のとおり、逞太郎死亡当時に、右各株式の株主名簿に逞太郎がその株主として記載されている以上、当然に、逞太郎は株主としての権利を有していたものであって、現に、別表(二)の26、27の株式については、昭和五〇年六、七月頃、逞太郎に対し、株式配当金が支払われたことは前記に認定したとおりであるから、本件(二)の株式も逞太郎の遺産であったというべきである。したがって原告の右主張も、採用できない。
(四) してみると、本件(一)の株式、本件(二)の株式は、逞太郎の遺産であったというべきところ前記甲第一九号証、同第二五号証の一ないし九、原告本人尋問の結果(ただし、前記及び後記の措信しない部分を除く。)、弁論の全趣旨によれば、原告は、右株式を相続により取得したことが認められる。
(五) そして、前掲乙第二一号証、同第二七号証、同第三三号証、並びに、弁論の全趣旨によれば、逞太郎死亡当時別表(二)の順号29ないし31の各株式の未収配当金のあることが認められるところ、右未配当金も、その株式自体が逞太郎の遺産であり、それを原告が取得したものである以上、当然に、原告が逞太郎の遺産としてこれを取得したものというべきである。
7 最後に、別表(五)の順号6、7の本件天王寺の土地建物を、逞太郎が、昭和五一年一月一日から同月一三日までの間に、前川富士子に対して贈与したか否かについて検討する。
(一) 本件天王寺の土地建物に対する二分の一の共有持分権を、逞太郎が有していたことは、当事者間に争いがない。
(二) 右(一)の事実、成立に争いがない乙第四一、四二号証、同第四六号証及び弁論の全趣旨によると、逞太郎は、昭和五一年一月一日から死亡した同月一三日までの間に、本件天王寺の土地建物の二分の一の共有持分権を三女の前川富士子に贈与し、右富士子は、同年三月三一日、これにつき贈与を原因とする共有持分権移転登記を経由したこと、ただし、贈与税又は相続税の課税を逃れるためその日付を昭和四二年六月九日とわざと遡らせて登記原因を申請したこと、前川富士子は、昭和五一年中に本件天王寺の土地建物共有持分権の贈与を受けたとして贈与税の申告をしたこと(乙第四六号証)、以上の事実が認められ、これを覆えすに足りる証拠がない。
(三) 原告は、逞太郎が前川富士子に贈与したのは、昭和四二年六月九日であると主張するが、一般に、登記原因の日付は、申請者において自由に決定できる事柄であること、前川富士子は、本件天王寺の土地建物共有持分権につき、昭和五一年中に、その贈与を受けたとして相続税の申告をしていることからすると、前記(二)認定のとおり、乙第四一、二号証の登記簿の右登記原因は虚偽の内容であると認めざるを得ないのであって、この点に関する原告本人尋問の結果も勿論措信し難く結局、そのほか、原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。
三 右二で認定判示したとおりの事実を前提に、原告に対する相続税の税額を算出すると、本件再更正処分を上まわることになり(ただし、被告の主張額のうち、正確な数額は、別表(六)の<6>の三木春恵は、金一三二〇万八〇〇〇円であり、別表(一)の<5>は金一五八三万五八〇〇円、<20>は金三〇三五万四五〇〇円であるほかは((ただし、同表の<6>は除外する。))、右各同表の「被告主張額」欄のとおりであることは計算上明らかである。)また、本件和解成立前の時点においても、本件再更正処分による税額を上まわることになるから、本件再更正処分及び本件賦課決定処分は、いずれも適法であることに帰着する。
よって、原告の本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、行政法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 後藤勇 裁判官 八木良一 裁判官 岩倉広修)
別表(一) 課税経過表
<省略>
別表(二) 当初未分割の相続財産の内訳(1)
〔甲第19号証〕
(なお、原告及び原告以外の者の取得については、昭和57年12月27日成立した大阪地裁昭和52年(ワ)第1962号事件の和解による。)
<省略>
別表(三) 遺贈財産の内訳
<省略>
(注)順号7~12及び14、16の財産については、更正及び裁決までは未分割相続財産であり、本書別表二当初未分割の相続財産の内訳に記載すべきであるが、再更正、被告主張額によって遺贈と認定したため、本表に掲げた。
別表(四) 債務等控除額の内訳
<省略>
(注) 未納公課の2固定資産税内訳 円
天王寺区役所 546,500
住吉区役所 131,240
生野区役所 269,010
貝塚市役所 31,040
門真市役所 17,090
枚方市役所 35,850
別表(五) 相続開始前3年以内の贈与財産の内訳
<省略>
別表(六) 相続税の総額および各相続人等の相続税額の計算
<省略>
税率表
(参考) 相続税の速算表(昭和60年1月1日以降適用)
<省略>
別表(七) 大阪市生野区巽北1丁目397番宅地分筆・処分状況
<省略>
附表(八) 生野区巽北1丁目397番1の地代
<省略>